培養肉の産業化
日揮ホールディングス
地産地消のエコシステムで、 環境負荷を低減しながら新たな食文化を
Business Person
日揮株式会社 未来戦略室 担当マネージャー
株式会社オルガノイドファーム 代表取締役 CEO
山木 多恵子
2008年に日揮グループに入社し、石油やガスの精製処理設備を設計するエンジニアとして10年ほど勤務。キャリアを積むなかで、技術担当の枠を超え、会社全体の事業戦略に関わる仕事に挑戦してみたいと考えるようになり、培養肉プロジェクトの存在を知って自ら手を挙げる。2021年に株式会社オルガノイドファームの代表取締役 CEOに就任。現在は、2030年の培養肉の商業プラント運転開始を目指し、培養肉の生産技術開発に携わっている。
Contents
培養肉事業参入の経緯:
枠にとらわれないビジネスを生み出す~未踏領域への挑戦
——日揮グループに培養肉プロジェクトが誕生したきっかけを教えてください。
当社グループは2019年に持ち株会社体制に移行し、機能材製造事業と総合エンジニアリング事業を中心とした企業グループとして生まれ変わりました。私が所属する、国内事業を手掛ける日揮株式会社は、当社グループのインキュベーション機能を担っており、グループの先駆的な立場として、新たなビジネスモデルや事業を生みだしていく事が期待されています。特に経営企画と事業開発機能を担当する「未来戦略室」では従来の枠にとらわれない新しいビジネスを生み出すため、幅広く事業の種まきをしており、そんな数ある新規事業のうちのひとつが今回の培養肉プロジェクトでした。
——なぜ、培養肉事業に参入しようと考えたのでしょうか。
近年、環境負荷の削減という観点から培養肉に関する研究が注目されていますが、日揮グループが目指すのは培養肉の社会実装を支えることです。培養肉の大量生産を実現するためには製造コストの低減や製造規模の拡大が不可欠ですが、日揮グループには医薬品製造プラントや抗体医薬品の生産などに用いる培養装置といったライフサイエンス関連の実績がたくさんありますし、大規模生産を可能とする工程の自動化・効率化などのエンジニアリング技術に強みをもっています。こうした強みやノウハウが培養肉の大量生産技術の確立に活かせると考え、培養肉事業への参入に至りました。
オルガノイドファームの設立:
再生医療の技術を食料に応用する試み
——山木さんはどういった経緯でオルガノイドファームの社長に就任されたのですか。
「海外プロジェクトに関わりたい」という想いから日揮に入社し、10年以上プラントエンジニアとしてお客さまの仕様や要望に合わせた課題解決策を提案するという仕事をしてきました。国内外の多様なプロジェクトに関わり、普段は男性エンジニアの中で仕事をすることが多いのですが、海外のプロジェクトでは多くの女性エンジニアと協業するなど、たくさんの刺激を受けました。お客さまの課題を解決する仕事にやりがいを感じていましたが、ひとつ大きな仕事が終わったタイミングで「技術担当の枠を超えて、会社全体の事業戦略に関わる仕事をしてみたい」「もっと経験の幅を広げたい」と思うようになりました。
そこでおもしろそうなチームやプロジェクトがないかと社内を探していたら、たまたま培養肉の事業が始まるかもしれないという噂を聞いたのです。もともと食べるのが好きということと、学生時代に細胞生物学を専攻していたということもあり、バイオテクノロジーに関する事業は以前から興味がありました。なかでも培養肉は畜産による環境負荷を低減するための解決策として世界的に注目されていたので、チャンスがあったらいつか関わりたいと思っていたのです。そこで、自分から「やりたいです!」と手を挙げたら未来戦略室へ異動になり、そこから1年も経たずにオルガノイドファームの設立に至りました。
——早い段階で子会社を設立したのには何か理由があるのでしょうか。
これまで日揮グループが新規事業を立ち上げるとき、まずは自社開発や共同研究先との開発をある程度進めてみて、事業化の目途がたったら子会社化するという流れでしたが、おそらくこの進め方では時流に乗れないと判断したのだと思います。現状、培養肉の市場は確立されておらず、これからどう変化していくかもわかりません。開発の方向性も世の中の流れに応じて機敏に変えていかなければならないので、社内で研究を進めていくよりも、最初から子会社化してスピード感を持って進めたほうが良いという結論になり、研究開発を始める段階で子会社化しました。まさか自分が社長になるとは思っていませんでしたが、任せてもらえるなら頑張ろう!とチャレンジすることにしました。
——社名にもなっている「オルガノイド技術」とはどんなものでしょうか。
オルガノイドは、「器官(organ)」と「〜に類似したもの(-oid)」の造語で、立体的な「ミニ臓器」を細胞培養でつくりだす技術です。食肉組織から特定の幹細胞を取り出し、効率よく培養して食肉オルガノイドと呼ばれる組織体を作成する手法を適用しています。開発にあたっては、横浜市立大学でオルガノイド作成技術の研究をされていた武部教授(オルガノイドファーム特別技術顧問)と食料生産へ応用するための特許ライセンス契約を締結して、商業化に向けた研究を進めています。
オルガノイド技術は再生医療の分野で発達してきた技術ですが、その知見を食料生産に応用しようというコンセプトで、畜産や農業という言葉をかけて「オルガノイドファーム」という社名にしました。特長は細胞以外の材料なしにミニ臓器ができるという点で、動物のさまざまな部位が研究されていますが、まだ試験管内やシャーレの上で実験している段階です。私たちが目指す培養肉の生産プラントは、巨大なタンクが並び、鳥や牛や豚の各部位がタンクの中で大量に培養され、完全無人でリモートコントロールできるようなものです。これらの実現に、日揮グループの技術力が大きく貢献できるのではないかと考えています。
成果と課題:
2030年商業プラント運転開始に向けて
——現在の開発状況を教えてください。
開発の段階としては、ラボスケールからベンチスケールに持っていこうとしているところで、商品化や産業化が見えているかというと、それは10年ぐらい先だろうと思っています。産業化に向けて、培養肉の元になる細胞としてどれが適切かという点と、細胞をどのように増殖させたら産業化した時に効率の良い生産プロセスが出来るのかといった点の基礎研究に注力している段階です。
2024年度中には、試作品を発表したいと思っています。また、商業プラントの稼働前にはパイロットプラントと呼ばれる小さい設備を稼働させて、さまざまなデータを取ってノウハウを蓄積するというのが必要になってきます。パイロットプラントの稼働は2027年には実現させ、2032年には商業プラントの運転開始を目指しています。
——今後の課題はありますか。
技術的な壁は正直たくさんあります(笑)。細胞を培養するには培養液が必要なのですが、その培養液をどうやって安く食べられるものにしていくかとか、もし私たちの技術でたくさん食肉オルガノイドが出来たとして、それをどうやって消費者が食べられる形に加工するかとか。最終的には美味しさや香りをどう付加していくかも大きな課題になってくると思います。技術的に色々クリアしたとしても、美味しくて安全でないと多くの人に食べてもらえません。どうやって食品としての価値を高めていくかは、食品会社さんなどと連携しながら進めていく構想もしています。
また、今は小さいラボで細胞培養をしていますが、ただ単に設備を大きくすればいいのかというとそうでもなくて、いかにコストを下げるかも今後重要になってくると思います。
技術的には課題もありますが、環境負荷の削減という社会課題解決へのインパクトを考えると、培養肉作成技術は必要不可欠です。とくに牛のゲップにはCO2の約25倍の温室効果があるメタンガスが含まれていますし、牛を飼育する上でも広大な農地や飼料が必要になります。私たちは鳥や魚に比べ技術的に難しいと言われている牛の培養肉作成を目指していますが、世界的な需要の面でも、環境へのインパクトという面でも、これにチャレンジしていくことはとても意義のあることだと思います。
山木さんの目指す未来:
地産地消型の「培養肉のエコシステム」をつくる
——日々の仕事のやりがいや魅力を教えてください。
最先端のバイオテクノロジーに触れながら、世の中に存在しないマーケットに日々挑んでいることが一番ワクワクするところです。それに、周りからの反響がすごいので、培養肉への関心がいかに高いかを感じています。サステナブルな事業といっても、エネルギーや電気については自分事として捉えるのが難しい部分もあると思いますが、培養肉という食がテーマになると皆さんとたんに自分事として捉えてくださって、おもしろいなと思っています。やはり人は毎日食べないと生きていけませんから。「培養肉は気持ち悪い」というマイナス意見もたくさんいただきます。でもそれは、自分事として捉えてくださっている裏返しだと思っています。
今は培養肉に対してマイナスイメージを抱く方も多いので、環境負荷を減らせるとか、動物を殺さないで食べられる全く新しいエコでエシカルな食べ物だという培養肉のメリットをもっと打ち出し、ブランディングしていかなければいけないと思っています。
そのために、新会社設立と同時に「幸せをあきらめない地球へ」というスローガンを掲げました。培養肉に対するマイナスイメージを払拭して、食文化が増えていくことの楽しみ、培養肉が将来の食肉の選択肢として増えていく楽しみを、前向きに感じてもらいたいという想いを込めています。こうしたメッセージを発信し続けていくことで、培養肉へのイメージを変えていきたいですね。
——山木さんがオルガノイドファームを通じて目指したいことは何ですか。
培養肉が今後どんどん普及したとしても、昔からの畜産という文化がなくなるとは思っていなくて、どこかで両立するような時代が来るのではないかと思います。私の夢は、広々とした牧場に牛や羊、豚などが幸せそうに育っていて、その隣には培養肉の生産設備がある。そんな地産地消型の牧場に併設した培養肉工場をつくることです。牧場の動物は殺さず少しだけ細胞組織をもらってきて、隣の工場でその組織を使用した培養肉をつくりお肉をいただく、そんなエコシステムが形成できたらよいな、と考えています。
日揮グループのパーパス「Enhancing planetary health」には、人と地球の健康を追求することで豊かな未来を創るという想いが込められています。世界のさまざまな課題の解決に貢献していくために、培養肉事業を大きくしていくことが私の使命だと思っています。
日揮ホールディングス株式会社
オイル&ガス中心からエネルギートランジション対応へとビジネス領域を拡大する総合エンジニアリング事業、触媒・ファインケミカル・ファインセラミックスの3分野を中心とする機能材製造事業、2つの事業セグメントでグローバルにビジネスを展開。「2040年ビジョン」では「エネルギーの安定供給と脱炭素化の両立」「資源利用に関する環境負荷の低減」「生活を支えるインフラ・サービスの構築」の3つの社会課題解決を謳い、「Planetary Health の向上に貢献する企業グループ」へのポートフォリオ変革に取り組んでいる。
https://www.jgc.com/jp/
株式会社オルガノイドファーム
https://organoid.farm/
日揮グループが運営する、SDGsを実現するために必要な要素技術やさまざまな企業の取り組みを発信するメディア
取材後記
今回の取材では、培養肉という未開拓の分野に挑戦される山木様の意欲や情熱を強く感じました。存在しないマーケットを作り出すことを困難とせず、「だったらこうしたい」「エコシステム構築のためには、消費者に培養肉に対する明るいイメージを持ってもらいたい」というビジョンや夢を溢れるように持ち、ワクワクしながらプロジェクトを動かす姿に活力をもらいました。
また、山木様を適切な形で後押しする日揮グループにも「プラントエンジニアリングだけのビジネスから脱却したい」という本気度を感じ、「従来型のエンジニアリング会社」というイメージを覆されました。若きホープの集まるオルガノイドファームの明るい研究室から、おいしい培養肉が生まれる未来を想像すると、私の胸も躍ります!
(株式会社ブレーンセンター MI)