砂漠緑化
愛知製鋼
「鉄の力」を活かした次世代肥料で、砂漠を農地に
Business Person
愛知製鋼株式会社 未来創生開発部 次世代あぐり開発グループ長
鈴木 基史
学生時代に農学部でムギネ酸の研究を開始し、2007年に愛知製鋼に入社。以降、同社のアグリビジネスに関わり続け、「鉄力(てつりき)」シリーズの販路拡大に奔走。2021年には、ムギネ酸を使った次世代肥料開発において念願の学術誌への論文掲載を果たす。自称「乗り鉄」で、ローカル線で全国各地の農家をまわるのが楽しみ。「人類は鉄を発見して、鉄と共に発展してきた。地球は元々鉄が集まってできた『鉄の惑星』。地球で一番多い元素は鉄なんです。地球、生命、文明まですべてを繋げている鉄は、まだまだ社会に貢献できる可能性があると信じています。」
Contents
高校時代から、砂漠の緑化をめざす
――大学時代から「ムギネ酸」の研究に携わっておられるということですが、関心を持たれたきっかけを教えてください。
小さい頃から地球環境問題の解決というテーマに興味があり、高校2年生の頃に「21世紀はバイオテクノロジーや生命科学の時代だ」という情報に触れ、「砂漠の緑化に貢献できれば」という想いで農学部をめざしたのがそもそもの始まりです。
大学3年生の時、「世界の3分の1はアルカリ土壌で、鉄分が土に溶けないから植物が光合成に必須の鉄分を吸えない」と熱く語る教授に出会い、「鉄分さえ補ってやれれば、アルカリ土壌=砂漠でも植物が育つんだ!」という衝撃がありました。そのままその研究室に入り、ムギネ酸の学術的な研究を始めたという経緯です。
――ムギネ酸とはどのようなものなのでしょうか。
穀物のイネや麦、トウモロコシが分泌する特別な物質で、土壌中に固体で存在する鉄分を溶かして根に吸収させることができます。所属していた研究室では、それを遺伝子組み換えなどの技術で応用し、砂漠の緑化、食糧増産に活用するための技術を研究していました。ちょうど、自分がやりたかったこととぴったり重なった、という感じです。
※原子や金属イオンなどを有機物が取り囲むこと。
科学的知見を実際の製品に活かしたい
――愛知製鋼に入社された経緯を教えてください。共同研究などされていたのでしょうか。
そうですね。博士課程2年目の頃に「新しい鉄肥料が出たぞ!」という話を教授から聞いたのが始まりでした。それが、愛知製鋼が開発した「鉄力あぐり」でした。
鉄力あぐりは2003年から販売されており、「土に撒いたら植物の成長がよくなる」という実際の効果はあったのですが、実はそのメカニズムは未解明でした。そのなかで教授が「この二価鉄(Fe2+)は植物が吸いやすい鉄だ」ということを実証したのです。
愛知製鋼でも「鉄力あぐりの技術がアルカリ土壌の砂漠の緑化に繋がるかもしれない」という仮説を立てて研究を並行していたことから、その共同開発先として私が所属する研究室に白羽の矢が立ちました。後で聞いたのですが、ずっと鉄栄養の研究パートナーを探していたようです。
もともと学者になりたいという気持ちが強かったのですが、研究の世界では、オリジナリティや目新しさが求められます。自分はどちらかといえばそういう方面は苦手で、それよりも「モノづくり」を通じて社会に直接貢献していく仕事が早くやりたいと思うようになりました。そこで博士課程3年目に入ってから、鉄力あぐりを目当てに(笑)愛知製鋼の入社試験を受けました。
全国各地の農家を回る日々
――入社後の経歴を教えてください。
半年間の現場実習の後、2007年9月に研究開発部門に配属されました。当時は「鉄力」シリーズの開発・販売とアルカリ土壌向けの研究は分けられており、私は後者に専念することになりました。ところが専任研究員は私だけで、2年経ってもなかなか芽が出なかったことから、2010年に鉄力あぐり事業部に異動…つまりそこで1回、アルカリ土壌向けの研究はストップしているんです。それからは、全国の農家さんや関連企業、資材販売会社などを回る仕事が増え、現在も続いています。
――そもそも、なぜ愛知製鋼で農業用の資材をつくるようになったのですか。
リサイクルという観点で社内の副産物を有効活用できないか、というテーマがあったと聞いています。そこで、亜鉛を回収しようとした過程で出てきた酸化第一鉄(二価鉄)の用途をいろいろ調べていくなか、植物に与えるとぐんぐん育った、という事例があり、これはすごいぞ!となって販売を開始したのが2003年です。通常、酸化第一鉄を大量につくるということはしないので、偶然の発見でした。
肥料を作っている会社に素材を供給するのではなく、自社で販売するようになったのは、「製造元 愛知製鋼」と示す、メーカーとしての矜持があったと聞きます。当社はBtoBの素材メーカーですが、「鉄力あぐり」「鉄力あくあ※」に関しては、自分たちでつくったものを直接お客様に届けたい、という気持ちが強く、鉄の原理やエッセンスが直接社会に貢献するという喜びを実感できた、というのも大きかったと思います。
※液体タイプの鉄力製品。水やり時に混ぜて使う。
――鈴木さんがあぐり事業部に入った頃は、「鉄力あぐり」は農家の方たちに浸透していたのですか。
まったく知名度はありませんでした…。鉄鋼メーカーですから農業系の商流がなく、当初は全然売れなかったと聞きます。ですから、事業立ち上げ以来、農業分野の商流開拓が大きな課題でした。そのなかで、たまたま出会った種苗メーカーの方に「鉄力って凄い!」と言っていただき、そこから少しずつ広がっていったかたちです。
――どんなご苦労がありましたか。
農業の世界は地域性によるところが大きく、地域の商慣習に合わせていくのが難しかったです。種屋さん、資材屋さん、そうした取引先に効果を正しく伝えるとともに、相手に合わせたビジネスのかたちにしていくために、北海道から九州・沖縄まで全国を回り、各地で商品紹介、勉強会などをさせてもらって、本当に1つずつ販売させてもらいながら徐々に普及させてきたという感じです。
いわゆる足で稼ぐ、とても大変な仕事ですが、商品を売るよりも、農家さんが今どんな資材を欲しているか、農業界が今どんな課題を抱えているかを直接聞きながら人と人とのリアルなネットワークを築けたことが大きな成果だと思っています。
――普及に向けて、印象に残っているエピソードはありますか。
はい。農家さんのなかには「鉄分が重要」と伝えても、「うちの土には鉄分入ってるよ。水が赤いんだから!」とおっしゃる方もいるのですが、「それは植物が吸収できない鉄なんですよ」と1軒1軒伝えていきました。
また、二価鉄が植物に吸収されやすいということ以外にも、当時わかってきたこととして、低温や高温、低日照など、環境ストレスが高いと「鉄力」の効果が高くなる、ということがありました。そこで改めて「環境不良のストレス対策材」と銘打つことで、全国の農家さんに広まっていく手応えをもったことを覚えています。さらに、2014年頃からは種苗メーカーや農薬メーカーなど、複数の企業との共同開発品を販売し始めたことが普及の大きな力となり、売上を増やすことができました。
おかげさまで現在は鉄をアピールした他社商品も増えるほど「鉄分が大切」ということが浸透してきましたが、二価鉄活用のパイオニアとして常に先頭を走っていきたいと思っています。
諦めなかった情熱のタネがようやく実を結ぶ
――アルカリ土壌向けの研究はどう進んでいったのでしょうか。
鉄力あぐり事業部で農業現場を回っている間も、頭の片隅ではムギネ酸への想いがずっとあり、実は関連学会にも毎回顔を出していました。そういう所から、2015年に恩師の紹介で徳島大学の難波康祐先生と出会うことができ、タッグを組んだことで、ムギネ酸のこれまでの研究が実を結ぶことにつながりました。
先生は有機合成の専門家で、世の中にない化学物質を何でもつくり出してしまうスペシャリストです。ムギネ酸は発見されたのが1976年で、これまでいろんな方が合成に取り組んできましたが、肥料として必要な量をつくることができませんでした。1日で分解してしまうのに1ミリグラムで10万円もしていたんです。そんなモノを誰が撒くんだ?という問題があったのですが、それをクリアする可能性のある技術をもった方でした。
会社としても、いずれはアルカリ土壌対策に、その次には世界の緑化に、という全体的なロードマップはありましたが、明確な取り組みがあったわけではなく、国内の販売の延長線上に世界的な製品が生まれる、というイメージでした。
そこで、こんなすごい技術を持っている先生がいる、ということを会社に伝え、1年ほどかけて共同研究の締結までこぎつけました。そこからはどんどん新しい開発が進んでいきました。
――具体的にどのような技術なのでしょうか。
難波先生に「1日で分解されないムギネ酸をつくれないでしょうか?」という相談をしながら、先生がつくったものを私が評価する、ということから始めました。そのなかで、有機合成の原料を「L-プロリン」という安定かつ安価な天然のアミノ酸に代替した「プロリンデオキシムギネ酸(PDMA)」ならすぐに分解されず、原料も非常に安く済むことを発見しました。1日で分解されていたものが数週間効果が持続するというのは、45年のムギネ酸研究の歴史のなかでも凄い発見です。
そこで2018年、トップレベルの学術誌に論文を投稿。最終審査まで行ったのですが、実験の甘さを指摘され却下されてしまいました。そこでムギネ酸をよく知っている人たち、以前の研究仲間などに連絡をとって共同研究先を増やし、一緒にPDMAの評価をしながら審査員から指摘されたことを一つずつクリアしていきました。そうした地道な取り組みを経て、2021年3月、イギリスの学術誌「ネイチャー・コミュニケーションズ」に載ることができました。
共同研究先は最終的に6機関になっていました。論文の共著者も24人。本当にたくさんの人が関わった、みんなでつくりあげた学術成果だと思っています。
アルカリ土壌畑における稲への鉄供給効果(散布4週間後)
――ご自身が果たしてきた役割と、自己評価を教えてください。
研究成果が見えてきた2018年、当社は「未来創生開発部」を立ち上げ、その中でPDMAを世の中に出していく開発のリーダーに任命されました。また、開発と同時にコスト低減も図る必要があることから、これまで会社にほとんどいなかった有機合成技術をもつ人材を採用し、有機合成の実験室も立ち上がりました。ここ数年は毎年新入社員も配属されています。
これまでを振り返ると、私の仕事は鉄力あぐり事業の販路開拓と同じく、人と人のネットワークづくりだったと思います。自分の植物試験もありますが、みなさんに「こういった実験をしてください」とお願いして共同研究先を増やしてきました。
――交渉力やコミュニケーション力が求められる仕事ですね。
私は世の中に貢献したいという気持ちが強く、会社の利益はもちろん大事ですが、公益性が高いモノをみんなでつくれば、その後、関わった人たちがちゃんと利益を得られるようになると思っています。そういう想いで、研究の世界でも「ここは一緒にやりましょうよ!」という話をしてきました。また、所属する研究所同士はライバルでも、中にいる人は学生時代からの知り合いだった、という場合も多く、さらに自分は企業の人間で学術界からは一歩引いた第三者的な立場だったので、人を繋ぎやすかった、という面もありました。
「鉄力」シリーズの他企業との共同開発でも、ライバルだった企業と一緒に開発した経験があります。農業関連の商流を回っていくなかで競合会社と出会った時でも、対個人であれば会話のなかから「今度一緒にやりましょう」という話が出たりするものです。学術界でも産業界でも、組織の枠でなく人対人であれば良好な関係が築ける、そんな手応えを感じています。
日本発の技術で世界の食糧増産に貢献
――PDMAに関する計画はどうなっていますか。
目標はPDMAを世の中に出す、そして世界の食糧増産に貢献することですので、これからは実証評価の段階に進んでいきます。今までは実験室や大学構内などの小さな規模でしか評価できていませんので、今後は海外の実際のフィールドで評価をしてもらう予定です。実際、「ネイチャー・コミュニケーションズ」誌に論文が載ったことで多くの海外の研究者から問い合わせがあり、中東や東南アジアなどですでに評価が始まっています。EUやアメリカの研究者にもサンプルを配っています。
夏に国際学会がありますので、そこでも海外の研究者や企業の方にPDMAの良さを伝えて、少しでも多くの実証評価を実施していけたらと思っています。
――海外の農業界の反応はいかがですか。
海外の肥料会社の方にもヒアリングをしています。ムギネ酸の良さを知っている人は「凄い!」と言ってくれますね。
ムギネ酸の研究は日本が先行しています。もとは岩手大学の植物学者、高城成一博士が水田のイネの鉄欠乏の症状を見て「イネからは通常何か特別な物質が出ているんじゃないか?」と目をつけたのがきっかけで発見されました。また、有機合成は日本が世界をリードしていて、何人もの日本人研究者がムギネ酸の合成に取り組んできました。
ですから、世界にはまだまだムギネ酸が知られていない、という面があるので、その面白さや重要性をわかっていただければ、世界中で使ってもらえるのではないかと期待しています。ちょうど「鉄力」を広めた時と同じことを、今度は世界で、研究パートナー、協力者とともにやっていきたいと思います。
――ターゲットは実際に砂漠化が進んでいる地域になりますか。
本当はそうしたいですが、そういう地域は経済的に高い肥料が買えなかったり、そもそも肥料を使うのも難しい面があります。将来的にはものすごく安いムギネ酸を出せればと思いますが、その一歩手前として、まずは経済が発展しながら農作物が鉄欠乏になりやすい地域をターゲットにしていきます。
また、実際に鉄さえあれば砂漠を緑化できるかというとそう簡単ではなく、水や他の要素も必要なので、トータルな農業システムのなかで「鉄」を主眼にした開発を継続していきたいと思います。
人と人を繋ぐことで、「鉄」の可能性を最大限に引き出す
――お仕事の醍醐味、手応えをお聞かせください。
先ほどもお話ししましたが、研究開発の領域ではライバルが協力者になる可能性があります。これは社内外の人間関係すべてに関して思うことで、競争し合っている人でも、本音で話せば認め合える部分が出てきて、そういう所から新しい研究やビジネスが生まれるというのが実感としてあります。
たとえば、2018年には「日本の農業を何とかしたい、そのために既存の概念にとらわれない新しい環境ストレス対策材について議論しよう」と志を一にする企業が集まり、日本バイオスティミュラント※協議会が設立されました。当社も設立当初から関わっており、8社で立ち上げましたが、今は100社以上にまで拡大しています。ちなみに、農水省が2050年までのめざす姿を打ち出した「みどりの食料システム戦略」でも「イノベーション等による持続的生産体制の構築」という項目でバイオスティミュラントの活用が謳われています。サステナブルな日本の農業を実現するために、国をあげて新しい資材開発を進めようという機運が高まっているのを実感しています。
※従来の肥料や農薬ではなく、植物に対する環境ストレスを制御することにより、気候や土壌のコンディションに起因するダメージを軽減する技術。日本バイオスティミュラント協議会 https://www.japanbsa.com/
――研究の道から商品の販売、加えて研究体制づくりと経験されてこられましたが、ご自身の意識に変化はありましたか。
継続的に砂漠の緑化に繋がることをやれている、というのはすごくありがたいと思っています。そのなかで一番の変化としては、「鉄力」の営業に携わったことを転機として、「研究だけでは世の中は変わらない。自分一人でも変わらない。自分の役割を認識し、どれだけ人と人を繋げられるかが大事」と思うようになりました。自分一人ではできなくても、誰かと一緒になれば何でもできる、と思っています。
――最後に、鈴木さんが「鉄」にこだわる理由を教えてください。
サステナビリティという観点で鉄は欠かせません。文明にとっても、生命にとっても。
カーボンニュートラルと言われていますが、我々特殊鋼メーカーは資源循環型産業で、鉄スクラップを溶かして製品をつくっています。炭素も鉄も循環しており、鉄を再利用した炭素循環、資源循環にも取り組めたらと思います。あれもこれもになってしまいますが、21世紀を平和で心豊かに過ごすためにはいろいろな技術が必要で、そのなかで自分は「鉄」に関わり続けたいと思っています。
愛知製鋼株式会社
1940年創立のトヨタグループ唯一の素材メーカー。特殊鋼鋼材、ステンレス鋼材、鍛造品のほか、車載用電子部品、磁石、磁気センサ、鉄供給材などの製造と販売を手掛ける。製造プロセスの脱炭素化を進めるとともに、ブランドスローガン「つくろう、未来を。つくろう、素材で。」のとおり、素材を原点に付加価値を加えた製品やシステムの提供を通じてサステナブル社会の実現を目指す。