気候変動対策
サッポロビール
気候変動に負けない、豊かな香りを放つ ホップを次世代につなげていく
Business Person
サッポロビール株式会社
原料開発研究所 北海道原料研究グループリーダー兼購買部フィールドマン
鯉江弘一朗
1999年入社。大学院時代の担当教授から「サッポロビールどうだ?」と勧められたことから入社。以来、ホップの品種開発に約20年携わる。研究開発とともに購買部も兼務し、欧州の協働契約栽培の生産者とともにホップの品質・生産性向上に汗を流してきた。現在は欧州の業務は若手に引き継ぎ、北海道ホップのフィールドマンとして、またグループリーダーとして後輩たちの指導にあたるほか、自らも干ばつに強い新品種開発をめざしている。
サッポロビール株式会社
原料開発研究所 北海道原料研究グループ兼購買部フィールドマン
久慈正義
大学では農学研究科で稲の遺伝子を研究。学生時代からビール好きで、指導教官もビール好き。研究室にストックされていたビールは「指導教官の自腹で、なんと飲み放題。そのエピソードは入社時の面接でも大いにウケました」と笑う。新品種の研究開発とともに、購買部を兼務して日本の東北地方とアメリカ・カナダでフィールドマンを担当。現在はうどんこ病に強い新品種の開発に携わる。
Contents
高い目標を掲げて、世界で求められる“抵抗性品種”の開発をめざす
――気候変動に強いホップの育種は、どのような問題意識でスタートしたのでしょうか。
久慈:ホップというのは、大麦と並ぶビールの主原料で、主に香りや苦味を付ける役割を持っています。ホップの品種開発を通じて、豊かな香りをもつビールを生み出す、つまり商品の付加価値を高めるホップを開発することが我々北海道原料研究グループの第一のミッションです。
また、そのためには原料調達の安定性が維持されていることが前提ですので、当社では日頃から「協働契約栽培(※)」を通じて生産者の方々と密にコミュニケーションをとり、品質や生産性の維持向上に努めています。ただ近年、世界的な課題となっている気候変動問題がこの原料調達の安定性を大きく脅かすおそれが高まっています。ここ北海道においても雨量の増加や干ばつといった従来にない現象が頻繁に起こるようになっており、ホップが栄養不足や病気になるなど、想定した収量に届かないケースも想定されるようになりました。
鯉江:被害程度を予想するのは難しいのですが、うどんこ病によって10%から20%収量が減ってしまったり、等級が下がってしまうケースが考えられます。米国では、うどんこ病で壊滅状態になったホップ品種があるとも聞いています。
生産者も農薬を使って対策をしていますが、病気の流行などによって対策頻度が高まると費用がかかるうえ、雨が大量に降ると畑に農薬散布機が入れなくなり、適切なタイミングでの病害防除が難しくなります。また、世界的に農薬や化学肥料に対する規制が強まる動きもあり、農薬使用を減らしても安定して生育可能な品種が将来より強く求められるなど、気候変動や社会の変化に耐えられる抵抗性品種の要請は世界的に高まっています。
※お客様に「おいしさ」と「安全・安心」を提供するための独自の原料調達システム。(1)大麦とホップの産地と生産者が明確であること、(2)生産方法が明確であること、(3)同社と生産者の交流がされていること、を条件に、大麦・ホップの専門家である「フィールドマン」が直接産地に赴いて生産者との協働作業を行っている。
――そのなかでお二人はどのような研究を手掛けているのですか。
久慈:私は、さきほど鯉江が触れたうどんこ病への抵抗性を持ったホップの品種開発をめざしています。これは、いわゆるカビの一種がホップに感染して発症する病気で、発症すると葉などの植物組織に白い粉っぽい点々が付くことから、うどんこ病と呼ばれています。その病菌がホップの球花に感染すると、球花の成長が阻害されて収量が低下したり、苦味成分も減るなど、ビール原料としての品質にも影響が出かねません。
ホップは4月頃から9月にかけて栽培します。北海道上富良野町は本州に比べて本格的な梅雨はなく比較的降水量が低めですが、それでも栽培中の降雨のタイミングによっては農薬散布機会を逸したり、うどんこ病の感染や被害が目立つ年も出てきました。
鯉江:私は入社23年目で、これまでいろいろな品種を研究してきましたが、現在はグループリーダーとして後輩社員の開発の進捗をアドバイスすると同時に、個人的なテーマもいくつかもっています。
その一つが、ホップの根系の研究です。気候変動に対する研究という点では久慈と同じですが、彼がうどんこ病に強い品種の選抜技術を開発していることに対して、私は乾燥に強い品種開発をめざしています。
というのも、近年は全国的にも局地的な集中豪雨が懸念される一方で、北海道では年によっては干ばつが問題になることもあるからです。そうしたなか、一般に、根っこをより地中深くに張ることのできる個体は干ばつに強いと複数の作物で言われているほか、我々の共同研究パートナーである東京農業大学の実験でも、地中深くに根を張ったホップ品種は、より土壌の深い位置の水分を利用することができるためか、干ばつに強いことが示唆されています。そこで現在は根の深さを品種ごとに評価する方法を模索しています。
――新品種の開発に向けた目標など、時間軸を教えていただけますか。
鯉江:気候変動の影響を抑制するために、2017年に国際的イニシアティブであるTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)が世界各国の企業・団体に対して、気候変動に関するリスクや機会を情報開示するよう求めました。
そのなかで当社は、TCFD提言が出る前の1990年代から、生産性向上という観点で協働契約の生産者の皆さんとともに年次変動が小さく病気に強い品種の開発や栽培に注力してきましたが、TCFD提言を機に改めて長期のシナリオ分析をした結果、ホップにおいてはマクロ的な観点では大きな供給減という予想にはなりませんでした。しかし、ホップは品種ごとに香味のタイプが異なり、必ずしも気象変動に耐えられた品種がビール会社やお客様のニーズと一致するとは限りません。そこで当社は、現在のホップ品種ポートフォリオやバリエーションを将来にわたって確保していくために、改めて気候変動に適応する新品種開発に関する目標を掲げ、取り組みを加速していくことにしました。
久慈:具体的には、「2030年までに気候変動に適応するための新品種(大麦・ホップ)を登録する」「2035年までに気候変動に適応するための新品種(大麦・ホップ)を国内で実用化」「2050年までに上記品種のほかに新たな環境適応品種を開発して国内外で実用化」という3段階の目標を掲げています。
鯉江:現場としては、気候変動がさまざまなレベルで進むことを前提に、2030年、2035年、2050年と、ホップの収量を予測しながら開発目標を立てています。現状、当グループの研究員は4名で、基本的に全員が複数のテーマを持って新品種の研究を進めています。
“品種開発のDNA”を受け継ぎ品種ごとに特長を見極めながら改良を積み重ねていく
――それぞれの開発の進捗状況を聞かせてください。
久慈:うどんこ病に抵抗性をもつ品種開発に関しては、ゴールに向けてようやく第一歩を踏み出したという状態です。ホップのうどんこ病は欧州では古くからある病害なのですが、日本で広まり始めたのは2000年ぐらいから。ですから国内の知見が少なく、先行して研究を進めてきた欧米の論文を読む、病理に詳しい方にいろいろ教えてもらうというところから始めて、ようやく最近、一つの試験方法を確立できたという状況です。
――知見がないなか、どのように開発を進めてきたのですか。
久慈:うどんこ病に強いホップ品種を開発する、そのヒントを得るためには、まずはうどんこ病に抵抗性を持つホップ品種を選抜することから始める必要があります。ただ、選抜するには、さまざまな品種にうどんこ病菌を付けて、強いか弱いか試験しなければならず、まずはその試験用の菌を確保する必要がありました。菌の培養技術はまだ確立できていないため、最初はあちこちのホップ畑や近隣の藪の中の野生ホップから病菌を採取して試験に使用していました。
しかし、年によってはうどんこ病が少ない年もあり、菌が取れずに試験ができない年もありました。そこで、菌を毎年安定的に確保するために、まずはうどんこ病に罹りやすい品種を探しました。病気に強い品種をつくるために病気に罹りやすい品種を探すという、それぐらい手探りのスタートでした。
鯉江:ホップもうどんこ病菌も生き物です。また、我々はホップを育てることに関してはプロであっても、病害菌を維持し、欲しい時に欲しい菌を得るというのは別の話です。ただ、そうした環境のなかでも、久慈は工夫の上で病害菌をしっかり確保できる、基礎的な部分の技術を詰めていった。そのなかで私も久慈に対して、交配するうえでどういう母親なり父親を使ったらどのような抵抗性が得られるのか?などを含め、より俯瞰的な視点で将来像を描くようアドバイスしています。と、言葉で言うとシンプルですが、当社が扱う品種や品種開発全体を見渡しながら、うどんこ病の抵抗性を獲得していくという目標は相当チャレンジングなことだと思います。
実際、ホップというのは、現在栽培されているものだけでも世界に数百品種あるとされています。当社の多様な遺伝資源を活用して、さまざまな香り、苦味を試しながら新しいおいしさを生み出せる点がこの仕事の醍醐味ですが、一方で、気候変動への対策においても、品種ごとにその特長を見極めながら、地道に交配を重ね、改良を加えていくことが必要になるのです。
私が今、手掛けている干ばつに強い根の深い品種開発についても、多くの品種を植えて根の育成状況を確認していければ良いのですが、ホップの植物は一個体のサイズが大きく、一つひとつ掘って確かめるのはすごく大変なので、より簡便に根の状況を予測できる方法を模索しているところです。
ビールがもたらす豊かさを次の100年へ
――品種の多さが商品の多様性につながると同時に、開発の苦労もあることがわかりました。ところでサッポロビールは今、どのくらいの品種を扱っているのでしょうか。
久慈:1876年に創業した当社は、先達が研究してきた品種を含めて全体で200~300品種・系統は少なくとも保有しており、公的機関を含め、日本でも充実したホップ遺伝資源をもつ組織です。
鯉江:自社商品の品質や香り、苦味にそれだけのこだわりを100年以上もち続けた会社で気候変動に強い品種を開発するという仕事は、当社のDNAを受け継ぎ次代に伝える仕事であり、苦労も多いですが、我々の誇りであり喜びです。また、ホップというビールの豊かさを支える素材を持続可能なものにしていくという意味でも大きな社会的意義があると思っています。
――大変に手間のかかる、地道な仕事ですが、その原動力となっているのは何でしょうか。
鯉江:私の場合、やはり世界各地の協働契約栽培の生産者の方々に喜んでもらえるというのが大きなモチベーションになっています。冒頭、23年目と言いましたが、原料開発研究所と兼任で欧州のフィールドマンを長く担当してきたことから、サハラ砂漠から来るとも言われる熱波の影響で干ばつに苦しむことのあった欧州ホップ生産者の現状を垣間見てきました。こうした困りごと、悩みごとは世界共通となってきているように感じています。
また、海外の品種開発機関も、気候変動に耐えられる品種の開発に力を入れていますので、負けないように、この取り組みは達成させなければいけない、日本発の技術で課題解決を果たしたいと強く思っています。
久慈:私も2019年から米国で、今年から東北のフィールドマンを兼任していて同じような経験をしました。うどんこ病だけでなく、べと病などの病害にも当てはまりますが、気候変動に負けない病害抵抗性のある品種開発へのニーズは世界中でますます高まりつつあることを実感しています。ホップの品種開発というのは、主要な食用作物の品種開発のインパクトと比べると比較的小さいものかもしれませんが、その分、目標に掲げる新品種ができた時は世界各地の生産者に大きなインパクトがあると思いますので、地道な努力をこれからも継続していきたいと思います。
――育種を通じて課題解決をめざすというのはとてもサッポロビールらしい取り組みですね。最後に、仕事を通じてご自身の気持ちに変化などがあれば教えてください。
久慈:入社当時は正直、商品開発、会社の利益に貢献する仕事という意識でしたが、配属後、鯉江さんから「こういうテーマがあるよ」と教えられて、我々の仕事はビールを飲んでいただくお客様だけでなく、国内外の多くの協働契約栽培の生産者、さらにはホップをつくっている世界の生産者にも貢献するものなんだという思いを新たにしました。
鯉江:我々が手掛ける育種は、もともと品質や生産量の維持向上といった目的があります。食品会社が育種を手掛ける以上、商品開発への貢献に強くコミットすることになります。もちろん、商品開発には大きなやりがいを感じていますが、最近はそれと同等の価値として気候変動への対応――サステナビリティへの貢献も評価される社会になってきていると思います。
このことは、原料の品種開発から調達まで一貫して自社が関与しているサッポロビールが社会に大きく貢献できることを意味しています。そうした立場を認識しつつ、お客様のニーズの変化、協働契約栽培の生産者の皆さんの悩みに寄り添いながら、ビールがもつ豊かな香り、苦味、味わいといった価値を、サッポロビールらしく次の100年につなげていければ幸せです。
サッポロビール株式会社
1876年、札幌で「開拓使麦酒醸造所」として創業。ビールづくりとともに北海道産の大麦・ホップの栽培に着手し、地域の産業・農業振興に貢献。以降、良質な原料の調達、高品質な製造技術といった「ものづくり」への信念を受け継いでいる。2019年、サッポロホールディングスが「サッポログループ環境ビジョン2050」を策定。グループの中核企業として、生産者をはじめとするステークホルダーと協働しながら、環境変化に強い大麦とホップの新品種を2035年までに国内で実用化することを目指している。
取材後記
本インタビューでは、お2人から「気候変動に適応したホップの新品種開発によるサッポロビールの社会貢献」というテーマについてお話ししていただきました。100年後にも残るホップを開発する、という強い思いがひしひしと伝わるインタビューだったのではないかなと思います。
気候変動への対応としては温室効果ガス削減対策(緩和策)に着目しがちですが、環境省によれば今回のサッポロビールの試みのような気候変動影響による被害の回避・軽減対策(適応策)も重要で、両者は「車の両輪の関係」といわれています。鯉江さんがインタビュー後半に語られているように、育種は同社の提供する商品の品質向上という目的以外にも、「日本のホップを守る」という役割を果たしており、ひいては今後も受け継いでいくべき日本の食文化を守る重要な取り組みなのだと感じました。
(株式会社ブレーンセンター TN)